別子銅山


東洋のマチュピチュ、と呼ばれる別子銅山。

ちなみにアジアのマチュピチュ、日本のマチュピチュ、は別にあるらしい。言ったもん勝ちであるようだ。

松山市街から松山自動車道を約1時間、新居浜ICを降り別子銅山跡へ。

ICを降りてから10分、15分程度であろうか、まずはマイントピア別子に到着。ここは一種のテーマパークである。当時の坑道を再現した体験型施設があったり、鉱山列車を再現した観光鉄道が運行されている。前者の体験坑道は、よくできたミニチュア模型が随所にあり、再現された坑道自体もかなりの距離があるため見応えがあった。

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しかしここは端出場ゾーンと呼ばれる地区であり、こちらにあるのはすべて再現施設で当時の遺跡(というほど古くはないが)は見られない。東平(とうなる)ゾーンと呼ばれる地区が少し離れたところにあるらしい。

とりあえず車で向かった。もう少し山を登るらしい。端出場ゾーンから県道を登って行くと、”東平まであと4km”の看板と共に枝道が現れた。同じ施設なのにけっこう離れてるんだなと思ったが、車なら数分だろうと軽く考えた。

しかし、車で行こうと考えている方、ここから先は覚悟してください。くねくねの一本道、ひとつ誤れば崖の底に転げ落ちそうな断崖絶壁の道、なんでも数年前は崖崩れのため近寄ることもできない時期があったそうな。とにかく”あと4km”がとても長く感じた。私は車の運転は苦手ではないが、もうこの道は通りたくない。

やっとの思いで、東洋のマチュピチュと呼ばれる景観にたどり着くことができた。

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下界は桜が満開の時期にも関わらず、ここで間近に見える山々は雪景色である。21世紀の今、車で来るにも苦労するようなこの場所に、300年以上も前に採掘権を求めて調査に立ち入った人がいたとは恐れ入る。しかも今立っている足の下には縦横無尽に坑道が張り巡らされ、再盛況時は1000人近い人が住んでいたというのも信じられない。秘境といっても言い過ぎでないこの地に突然現れるこの施設跡と当時の活況を想像すれば、”東洋のマチュピチュ”と呼ぶのも頷ける。

ここにも歴史資料館があり、当時の生活の様子や物資の輸送方法などを知ることができる。施設跡自体は大規模に残されているわけではないので、視覚だけでマチュピチュの姿を求めるのには無理がある。しかし、来ることで知ることもある。お勧めできるスポットである。